感想書いてる時に思い出したのですが、その昔このremembranceという最高のストーリーを
もっと多くの人に見て欲しいと考えていた時期がありました。
どうすればそれが出来るかななんて。
でもその後ニコマス界隈の色んな動きや考えに触れているうちに、
だんだんそんな事しなくたっていいのじゃないかと思うようになりました。
今いるニコマス視聴者だってみんな自分の出来る範囲で好きな作品を自分なりに探して楽しんでいるんだからと。
PVが好きな人がいて、架空・ノベマスが好きな人がいて、ニコ生が好きな人がいて、
みんな思い思いに好きな住処を見つけてそれぞれに楽しんでいると思います。
一年前と今を比較しても随分ニコマス周辺の雰囲気変わっていますし
何より動画数も作り手の数も格段に増えた今では祭り1つですら全部追うのは難しい状態なんですよね。
そんな中で、なんかこう・・・さらに率先して見て貰おうという事はしなくてもいいのかなあなんて。
何より自分を振り返れば、お勧めされているシリーズ作品は結構あって今度ぜひ見ようと思いながらも
まだ見ていない作品がたくさんある状態です。
どの方も同じかなと思うのですが、
自分の好きな作品を多くの人に見て欲しいという思いは、自分がもらった感動なり楽しさを
まだ知らない人にも感じて欲しい、一緒に分かち合いたい、という部分から来ていると思うんですよね。
その気持ちはもちろん今でも持っています。
しかし思います。
じゃあ「今いる人達」では駄目なのか、不足なのか、もうそちらに目を向ける必要はないのかと。
そんな事は全然ないのです。
考えてみれば今だって既にこのremembranceシリーズのファンはたくさんいる。
私と同じぐらい好きな人だってきっとたくさんいるはずなんですよね。
・・・。第一話のマイリス数が約500、以降毎話数十あって十二話以降は約100、第三話は約300ある。
一人のファンの立場としては同じファンの仲間がこれだけいると考えれば、なんか充分じゃない?って。
そして今年の7月のある作品を見た時にその気持ちは一気に強くなったのでした。
──ツンデレーション
あの作品は作品としてもそれは素晴らしいのだけど、それとは別にもう一つ猛烈に感動した箇所がありました。
完結編のラスト5分間。あのエンドロールと一緒に流れる数え切れないコメントの嵐。
あれは見てるこっちが泣ける><。視界がぼやけるよって。
そういえば
以前同じ事を書いたかも。
同じ光景は以前にもありました。某映画祭の「2時間半」の長編作品のラストにも感動コメの嵐が。
あちらも私が大絶賛してやまない珠玉の物語です。
だけどやっぱり私にはツンデレーションのこの5分間は特別なんですよね。
MEMORY2が原点で今remembranceを大絶賛お勧め中の私にとって、この伊織sideのremembranceは。あの5分間は!
おいおい、なんだいるじゃないか、私の求めてやまなかった仲間がここに大勢・・・。・゚・(ノ∀`)・゚・。
いったいどこに隠れてたんだよと。
あれを見た時に、私は満足してしまったのでした。
見る専の私にとって数字なんてそんなに重要じゃない。
無理に新しい方へ目を向けるんじゃなくて
今いる仲間達を大事にしようぜと。
あのコメの中には美希sideであるremembrance本編を見ていない人もいると思う。
でもツンデレで興味を持って本編を見はじめた人もきっといるんじゃないかな。
たとえその人数が少なくたっていいじゃん。
本編のファンだって恐らく大半は私が名前を知らない人達だと思うけど
自分が大好きなものを程度の差こそあれ、同じく好きだというみんなは大事な仲間です。
コメした人も、コメではなく別の場所で声を出した人も、声を出していないけど内に持っている人も。
知り合いにもremembranceが好きな人はいるけど、それと同じぐらい名前を知らない仲間達に感謝。
そしてそれを教えてくれたあの5分間に集まった仲間にも感謝。
みんな大好きだ!!
- 2009/11/18(水) 00:02:53|
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